なんでもメモ!

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「ら」抜き言葉について@ナンセンスな論議

こんにちは。

 

このあいだ、近くにいたインテリっぽいおばさんたちが「ら」抜き言葉について「正しい表現じゃない」「親御さん注意しないのかな」とかアレコレと話していたのが耳に入ってきました。

 

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 あまり気にしないで 

 

実は自分の母親もかなり残念な人なので同じようなことを主張する人なんですが。。

 

結論から言うと僕は「ら」抜き言葉を否定しません。

 

否定する理由がないので。

 

幼児語の一種とかトンデモ理論を展開する人までいらっしゃいますが、それこそドンデモありません。

 

<実はちょっとアレ・・な人たち>

このネタ、ことさらに言うとウザがられると思うので人前で話したことはないですが、「ら」抜き言葉を「正しくない!」と否定している人は実はかなりバカを晒していることになるので何かの受け売りでインテリぶって言わない方がいいよ、というお話なのです。

 

では「ら」抜きを否定することが、なんでバカを晒すことになるのかを掻い摘んで言うと、「ら」抜きは否定しながら同じ理屈で間違っている表現を平気で使っているからです。

 

これ、おそらく学校の国語の先生とかでなければ「ら」抜きを否定する人の90パーセント以上は同じ間違いをしています。

 

例えば

 例1)

質問 『この電車で大阪まで行けますか?』

回答 『行けますよ』

↑この表現、「ら」抜きを否定する人が使っていたとしたら間違いです。

大間違いなのです。

 

正しくは

 例2)

質問 『この電車で大阪まで行かれますか』

回答 『行かれますよ』

「ら」抜きを否定するのであれば、質問も回答もこうでなくてはいけません。

 

例1の省略された音は「ら」とは違いますが、「行く」に可能の助動詞の「れる」の活用が省略・簡略化して「行ける」に変化したもので理屈は「ら」抜きと同じなのです。

 

「ら」抜きを正しくないと主張するのであれば、これを見過ごすのは矛盾しています。

 

 

僕が言いたいのは、学問的にどうとかいう問題ではなくて、言葉なんてものは時代とともに変化するものだということ。

 

同じ日本語でも古文なんて勉強しないと書いていることの概略すら理解できないし、そこまで昔に遡らなくても、昭和の初期の言葉ですら口語も文語も今とは全く違いますよね。

 

そういうことを考えないで、時代の移り変わりを否定して、変化した言葉を正しいとか正しくないというのはナンセンスだということです。

 

しかも、それを「正しくない」と主張する人たちが理屈も理解しないで矛盾したことを言いながらインテリぶっているのが残念だなと感じています。

 

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 ↑意味ないから

 

<本来は丁寧語ではないけど>

例に出した『行かれる』なんてかなりお歳を召した方でも日常の口語で使用している人にはほとんどお目にかかった事がありません。

これなんか正に時代の移り変わりで一般的になった表現です。

 

実際に例2のように話しているのを聞くとすれば、ホテルのコンシェルジュやデパートの案内の人が「〇〇に乗れば行かれます」のように丁寧語のつもりで使用している例くらいですかね。

 

 <何がきっかけだったか?>

よく知られていると思いますが、この「ら」抜きって何十年も前から慶応幼稚園の入試問題として有名で、雑学ネタやクイズ番組の中でも頻繁に登場してきました。

 

自分の記憶では「平成教育委員会」って番組でこのネタが出題された際、正解を回答した仮面ライダー死神博士の役をしていた天本英世さんが「最近日本語が乱れて嘆かわしいね」と放った苦言が一部のエセインテリゲンチャの人たちのシンパシーに触れて「ら」抜き否定論が再燃したように記憶しています。

 

まあ、だいたいこういう事を書き立てる新聞社って決まってるんですけどね。(笑)

 

奇しくも日本のエセインテリは幼稚園の入試レベルの知性と同等だと証明してしまった訳でございます。

 

<なぜか道路標識に・・>

参考までに、首都高速阪神高速の道路標識には何故か『行かれません』の表現が使われています。

 

関西では阪神高速環状線の道頓堀出口にある

『対面する道路から道頓堀方面には行かれません』

がちょっと前までありました。

対面している道路は西から東向きへの一方通行(道頓堀方向とは逆)なので、道頓堀に行こうとしてこの道路を逆走するなという注意喚起の標識なんですが。

 

道路標識って一瞬での視認性を良くするために言葉は少しでも短く簡略にするって決まりがあるんですが、何故「行けません」じゃなく「行かれません」にこだわっているのかが謎です。

 

こだわりのある人が監修してるんでしょうか?

まあ、こだわりって大事ですが。。

 

 

僕も書くことを仕事にしてるけど読んでる人がどのくらいの年齢層か、どんな人に訴えたいかとかであえてチャラい文体にしたりいろいろ変化を持たせています。

 

まあ、言葉ってそういうふうに臨機応変ですよね。

 

年配の人に「食えよ」「見ろよ」って言ったら明らかに無礼だけど、「食べる」「見れる」って表現が失礼でもなんでもないでしょ。

 

 

それをあえて反論するのであればご自身も正しい理解をお願いします。

ということ。

 

それでも、うちの母親は

「なんちゅうてもおかしいものはおかしいの!」

と言い放ちましたが。。

 

クソババァ最強(笑)

 

 

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